本誌では原則として毎号、質的研究に関わるテーマを定めて特集を組んでいます。そのテーマに関わる論文は、特集論文として投稿していただき、一般論文とは別枠で審査させていただいています。特集に投稿される場合には、締切がありますのでご注意ください。

現在募集中の特集テーマ

【第18号】ゆるやかなネットワークと越境する対話:遊び、学び、創造(香川秀太・青山征彦 責任編集)


締切:2017年10月末日 →11月22日

特集主旨:昨今,特定の組織内での活動や,トップダウン型の意思決定,あるいは,中央集権型の社会形態に代わる新しい実践が拡大している。それは,多様な人々が自律的に動きながら流動的,分散的につながり,各々の異質性・多様性を生かして様々な物事を創造する活動である。言い換えれば,既存の分野や集団の枠を越えた越境活動,もしくは,集団の境界それ自体が曖昧となり消失さえするネットワーク型活動の活発化である。様々な領域で,この種の活動形態に依拠した実践,もしくは,影響を受けた新しい取り組みが野火的に拡がっている。

例えば,企業や医療業界では,既存の部署や専門分野の枠を越えて協働する対話型セッションが,あるいは,職場外でも,自分が属する組織を越えて社会活動に参加したり,新たな学びの場やコミュニケーションの場の構築を試みるセカンドキャリアやワークショップ型の実践が広がった。教育業界でも,外部と連携する出前授業やプロジェクト学習,創造的学習が急速に普及・一般化した。また,SNS等のソーシャルメディアの発展と連動しつつ,反原発デモに代表される社会運動やフラッシュモブ等の祝祭的活動も各地で拡がった。その他の領域でも,市民参加型の行政,フューチャーセッション,ハッカソン等,従来の生活圏やジャンルや集団を越えて異質な人々がゆるやかに,流動的につながっていく活動が波及している。

これらに対しては,例えば,創造,異質・多様,対話,学習,情動,知識,プレイ(遊び演じる遊(ゆう)演(えん))といった概念が研究上のキーワードとしてあげられるだろう。普段の生活圏を越えて新たな知識やスキルや情報,あるいは異質な文化に触れること,多様性を生かしてそれらを創造すること,普段とは違う自分や新しい自分を演じること,既存の枠組みを崩していくこと,異質さへの驚きや葛藤,創造の喜びという情動を経験すること,新しいコミュニケーション方法,場,コミュニティ,ネットワークを生み出していくこと。これらは総じて,自らも変わりつつ社会や環境や道具を(つまり関係性を)創り変えていく新たな学習活動といえそうである。むろん,活動ごとに特徴は様々で一括できない側面があり,それゆえ,質的研究の強みを生かし,各々の具体的な様相を検討していく必要がある。

ゆるやかな越境的ネットワークは,これからますます力をつけていくであろう社会形態と予想される。情報技術の発展と普及のみならず,経済成長神話の崩壊,原発事故,大規模震災,深刻な環境汚染,マスメディアの衰退,強いリーダー神話の弱体化等々,様々な事柄が背景にあって拡大が進んでいると考えられる。一部ではこうしたネットワーク型の活動が,制度疲労も指摘される資本主義や経済中心社会の限界を補ったり,乗り越えたりする大きな可能性を持つものとさえ論じられてきてもいる。

本特集号では,こうした現象に着目した質的研究を募集したい。個別の現象に着目し分析した調査研究はもちろんのこと,自ら実践者として関わるアクションリサーチや実践研究,そして,方法論的,理論的研究も歓迎したい。



過去の特集テーマ

【第17号】レジリエンス(責任編集者:松嶋秀明・伊藤哲司)

締め切り:2016年10月末日(受付終了)

特集主旨:近年、レジリエンス(resilience:「リジリアンス」「リジリエンス」とも表記)という言葉を耳にすることが多くなった。データベースに登録されるレジリエンス研究も指数関数的に増大しているという。「復元力」「回復力」「しなやかさ」「打たれ強さ」などと訳されることが多い。精神医学、心理学、ソーシャルワークといった領域では「逆境やリスクの存在にもかかわらず、良好な適応をしめすこと」とされる。

現在、レジリエンスが注目される領域は多岐にわたる。精神障害のリスクを抱える人々の予防にはじまり、虐待や、貧困、戦争や自然災害を経験して育った子どもが、不適応に陥ることなく育つことを保証する観点から、あるいは、末期ガンの人々や家族への支援に関わってレジリエンス研究の必要性が広く認識されるようになっている。個人のみならず、自然災害によって、人間関係のつながりを失ったコミュニティをどのように再生していくのかといった議論もあれば、工学的な立場から、災害にあってもいち早くたちなおる街づくりを目指すという意味で「レジリエント社会」「レジリエンスな街づくり」といった用語がきかれるようにもなった。

このようにレジリエンス研究は増大しているが、大部分はレジリエンスを一変数とした、数量的な手法によるものである。その具体的な様相をどう記述するのかという方法論に関する議論は、いまだ十分ではないように思われる。

例えば、レジリエンスを、どのような概念としてとらえるか。逆境やリスクをはねかえす強さととらえる言説もあるが、レジリエンスとは個人の特質であるというよりは、逆境にあるなかで、周囲の環境との相互作用の結果としてうみだされるものとしてみることが一般的になってきている。また、レジリエンスとは、単に逆境やリスクにみまわれる以前の姿に戻ることでもない。例えば、自然災害があったコミュニティがレジリエンスを発揮するという場合、それは当初の状態に戻ることではなく、災害の教訓をいかして新たなコミュニティへと生まれ変わる過程かもしれない。虐待にさらされて育った子どものケースのように、そもそも戻るべき状態が想定できないものもある。

また、研究者のスタンスも、自然に生じたレジリエンスの観察に専念する立場から、積極的にレジリエンスを育てるための援助の提供者としての立場まで担うようになってきた。そこでは、援助者がどのような意図や狙いをもって介入したのか、あるいは、複数の援助者がどのように協働したのか、援助者自身の認識の変化の過程などが注目される。その一方、そうした周囲の環境は、ただあるだけでなく、当事者に援助資源として意味づけられる必要がある。人々の意味生成過程に着目することも重要だろう。

このように時間の流れのなかで、多様なエージェントが関わっておこる複雑な相互作用過程を記述するうえで、質的研究が役立つのは間違いないが、そこにはどのような工夫が必要になるだろうか。今回の特集では、多様な領域において、レジリエンスの生成過程を、豊かに記述した経験的研究や、方法論をめぐっての論考をつのることでその問いの答えに近づいてみたい。オーソドックスなスタイルはもちろん、多くの萌芽的で、挑戦的な論考がよせられることを期待したい。



【第16号】質的研究における映像の可能性(責任編集者:好井裕明・樫田美雄)

締切:2015年10月末日(受付終了)

特集主旨: 社会学や心理学、教育学、または福祉、看護、医療といった人々の実存をあつかう「臨床的」現場において、質的なるものをどのように捉え、解読し得るのかは本質的な問いである。そして、これまでこの問いに答えるために、様々なかたちで経験的な質的研究が工夫され、実践されてきた。以前では不可能であった映像資料の作成や活用も調査分析機材の飛躍的な技術革新にともない可能になり、かつまた、研究成果の提示においても映像を活用することが増えてきている。それは質的研究において、質的なるものへのアクセスとアプローチの革命的な変容であったと言えるかもしれない。しかし他方で、こうした変容に適合し得る質的研究における映像の可能性が、十分には追求されていないようにもみえる。

今回の特集では、質的研究における映像の可能性について、なるべく幅広く論じてみたい。たとえば社会学においても、近年、日本社会学会の『社会学評論』において映像社会学の特集が組まれたり、社会調査における映像の利用法をめぐる翻訳が刊行されたりしており、映像への関心が増大していると言えるが、映像資料をどのようにして社会問題研究や文化研究に活用できるのかの議論は途上にある。また、エスノメソドロジーにおける会話分析から相互行為分析の流れの中で、映像をもとに作成されたトランスクリプトでの分析が蓄積されているが、エスノメソドロジー的な発想で、映像をいかにトランスプリプト化し、そこから何が分析できるのか。その際、分析をする研究者の問題関心と映像から選択してトランスクリプト化する作業との関連は、どのようなもので、研究者自身が、その関連性についていかに自覚し反省しつつ、分析を行い得るのか、などの方法論的な問いは依然として魅力あるテーマといえる。

他方、現代文化や多様な“生きづらさ”を生起させる多様な社会問題を生きる人々の現実を読み解くうえで、映画やテレビドラマ、ドキュメンタリーなどの映像資料をどのように利用でき、どのような仕方で何を読み解けるのかという興味深い課題がある。映画やドキュメンタリーなどの映像を自らが工夫した方法で資料として活用し、そこから何を、いかにして読み解くことができるのか。またそうした試行的な解読が文化、社会をめぐる質的研究に対してどのような新たな意味をもたらし得るのだろうか。

教育、看護、福祉、医療などの領域では、映像を用いて研究成果を提示する流れが存在しているが、それらは、いかに用いられ、またこれからいかに用いられ得る可能性があるのだろうか。

できるだけ幅広く問題関心をおさえたうえで、今回の特集では、具体的な映像資料を用いた分析の試行や個別の臨床領域における映像活用の可能性、さらには質的研究における映像分析をめぐる方法論的な論考、非言語的研究スタイルの可能性に関する論考など、チャレンジ精神あふれる多くの論考がエントリーされることを期待したい。



【第15号】子どもをめぐる質的研究(斉藤こずゑ・菅野幸恵 責任編集)

締切:2014年10月末日(受付終了)

特集趣旨: 子どもやその発達をめぐる事象は、福祉、教育、看護、文化人類学など、領域横断的に 探求され続けてきており、今日では発達は生涯を通しての人のさまざまな変化を含むものとみなされるようになりました。たとえば発達心理学の領域では、アリストテレスを起源とする子どもの存在への問いは、子どもの変化やその原因について多くの法則定立的知見を見出してきました。その成果は、研究者のみならず一般にも個々の子どもを理解するときの知識として効果的に機能しています。しかしこのメリットは両刃の剣で、発達のメカニズムや全体像が優先されすぎると、あたかも発達段階や発達の理論の確認のためだけに、個々の子どもが存在しているかのような本末転倒な事態をもたらします。本来、私たちがなすべきであったこと、すなわち身近で個別的な子どもの存在を優先し、その子の理解のために役立つ情報を探ることが見失われています。

他方で子どもの発達をめぐる事象は因果関係の検証が難しく相関や依存関係が見出されるだけだといわれます。また乳幼児では、日誌研究や、参与観察、映像化なども重視されてきました。そこで子供をめぐる研究は、たとえ発達のメカニズムを優先しすぎたり、質的研究方法を自覚しない素朴なレベルだったとしても、すでに質的技法を駆使して実践されてきているのです。 研究結果は方法に依存するものですが、方法の自覚の程度にも大きく影響されます。より自覚的な質的アプローチならば、今までにない子どもの姿や解釈が見出されるはずです。このような期待から、本特集では、質的技法の卓越した特性を自覚的に利用し、子どもの新たな姿を積極的に見出し、根拠に基づいて説得力をもって主張する、そのような性質をもった、子どもをめぐる質的研究を広く募集します。以下にいくつかイメージされる研究の方向性を示します。

・個別具体的な子どもたちの生活世界を記述すること:質的研究では、従来の研究では日常から切り離されてしまう個別具体的な子どもの姿をその子どもが生きる社会文化歴史的文脈のなかでとらえることができます。個別具体的な子どもの姿を明らかにするというこ とは、 子どもたちの生活世界をつぶさに記述するということにつながります。

・子ども観・発達観の問い直し:また質的研究が人間観や認識論といった、ものの見方の変革にも関わるものであることを考えると、子ども観を問い直すような研究も求められます。”子どもの発見”以後、子どもは守られる対象としてとらえられてきた側面がありますが、子ども自身がより小さい子のことを守ったり、大人を支えたり、自ら社会に参加して発言したり決定したりします。さらに子ども観を問い直すことは、「発達」という概念を問い直すことにもつながります。

・社会変動のなかの子ども:子ども観の変化(変容)は、原因が自然であっても歴史的事象であっても、それによって引き起こされる「社会変動」と深いかかわりがあります。そ う考えると、「不登校」 「子ども虐待」「いじめ」「メディアと子ども」などの事象か らも、今を生きる「子ども」の姿が見えてくるかもしれません。

・人生における「子ども時代」:さらに生涯発達という観点で子どもをとらえると、人生を振り返って子ども時代を回想することも、子どもの質的な研究に含まれます。



【第14号】社会的実践と質的研究(田垣正晋・永田素彦 責任編集)

締切:2013年10月末日(受付終了)

特集趣旨:東日本大震災後、および原発事故後の現在においては、研究が社会における実践にどれほど貢献できるのかという課題が先鋭化しています。質的研究は、研究対象者やフィールドの「現実」を、量的研究よりも深く汲み取れることを自負してきました。たとえば社会学や文化人類学における質的研究は、社会的マイノリティ(例、障害者、被差別部落の人々、都市の貧困地域)、文化的異邦人(「先進」国からみた、「未開」地域)の問題にしばしば取り組み、実践にも寄与しようと努力を重ねてきました。心理学の質的研究においても、社会学や文化人類学ほどではないにしてもこのような傾向は一定程度認められます。本誌が求める質的研究は、程度の差こそあれ、社会的な実践と無縁ではないのです。

ただ、一口に「質的研究における社会的実践」と言っても、実に様々なかたちがありえます。研究のテーマや対象がディシプリンによって異なるだけではありません。現実や社会に対する質的研究のアプローチを大別すれば、現実をよりよい方向に変化させることに主眼をおく「実践する研究」と、そうした変化に関わる営みを記述する、「実践に関する研究」とがあるでしょう。言うまでもなく、この2つの間に優劣はなく、双方ともに私たちの生活に何らかの貢献をするものです。

そこで本企画では、社会における広義の実践と質的研究との接点に関わる論考を幅広く募集します。想定されるのは、たとえば社会福祉、看護やリハビリテーション等の医療、臨床心理、保育実践、教育実践など、「実践現場」が社会制度として確立している分野における介入研究です。あるいは、問題解決の方向を探るデータ分析の方法に焦点を当てたり、研究知見やモデルと実践を循環的につなげたりするような、実践的研究の方法に関わる論考も考えられます。また、災害支援、町作りや環境保護といった住民活動、「法と心理学」における供述分析のように、必ずしも制度化されていない実践に関連した研究も歓迎します。さらに、このような応用研究から派生する、社会と質的心理学との関わり方を論じたり、アクションリサーチ、実践研究などといった類似概念を展望したりするような理論的な論考も求めます。



【第13号】「個性」の質的研究 〜個をとらえる,個をくらべる,個とかかわる〜(責任編集者:渡邊芳之・森直久)

締切:2012年10月末日(受付終了)

特集趣旨:多数の「個」のなかで,ある「個」だけが特有に示す特徴や構造を「個性」と呼ぶことができます。個性は,それが個を鍵にして生じる現象であること,それが個に特有の環境と不可分であること,そしてそれが個に特有の時間の流れを基盤にしていることの3つの点で,質的研究法によるアプローチをもっとも必要とする研究対象のひとつであるといえます。

しかし心理学における個性の研究は,心理学的尺度による測定を通じて「個を序列化すること」に努めてきました。そして,ランダムサンプリングによって個をとりまく環境や個に特有の時間を相殺したデータから「個人変数間の一般的関係を解明する」ことを研究の中心とし,現在では心理学の中で量的方法にもっとも支配される研究領域となっています。そして個そのものは研究の中で忘れ去られてしまっているようにみえます。

この特集では,個性がわれわれの眼前に立ち現れる本来の姿をみつめようとする研究,個そのもの・個に特有の環境・個に特有な時間の流れが反映されるものとしての個性に焦点を当てて,それを質的研究法によってとらえようとする研究をひろく募ります。

個性がテーマであり,質的研究法を用いた研究であればすべて特集論文の対象となります。たとえば,個性そのものやその形成・変化などを質的に記述することを通じて「個をとらえる」研究,複数の個がもつ個性を質的に比較することで「個をくらべる」研究,そして「個とかかわる」ことを重要な要素とする実践について質的な手法でまとめた研究,さらに個性と質的研究法に関わる理論的考察の投稿も歓迎します。

「現象としての個性」の本来の姿をとらえ,個性を研究する学問の未来を切り開くような研究論文が多数投稿されることを期待します。



【第12号】文化と発達(責任編集者:柴山真琴・田中共子)

締切:2011年10月末日(受付終了)

特集趣旨:人間発達過程への「文化-歴史的アプローチ」が登場し、心理過程と文化との相互構成過程を見つめる「文化心理学」が展開しつつある昨今、その影響を受けて、広範囲の心理学研究において、文化の視点から現象を再考する動きが進んでいます。これまで自分の文化を再認識する視点を持った研究といえば、文化間の移行や異文化との邂逅など動的な心理現象に、異文化性の影響を読み解こうとする試みや、特定の心理現象を文化間で比較する営みが中心でした。専ら自文化内での発達過程に照準を合わせた心理学研究では、文化の視点から観たり評したりする視点を表に出さないことが多かったように思います。研究で用いられる用語や概念は、本来、当該の社会文化的文脈下で展開され共有されているものであるはずですが、それらが文化的な概念として捉えられ、明示され、議論されることは希薄でした。

そもそも「文化的実践」とは、社会固有の理論・知識・意味・慣行・身体技法が埋め込まれた、他者との共通性と反復性を持つ諸行為の総称と考えられます。だとすれば、自文化内で繰り広げられる「全ての営み」は、基本的には文化的実践の範疇に入ります。この意味で各種の人の「発達」は、文化的実践への参加を通して生起する現象だという見方ができるでしょう。本特集では、広く心理的な切り口から捉えられる「発達」の過程に対して、「文化」の視点を取り込んでアプローチする研究を広く募りたいと考えています。

例えば、文化を社会的表象として措定し、個人が特定の社会的表象を取り込んでいく過程を行動レベルで解明するような研究が考えられます。個人の行動のしかたには連続性があるのか、それとも何かの契機があれば変容することがあるのかなど、実際の状況や他者との関わりの中で、当事者の意味づけを織り込んだプロセス研究などは、質的研究による精緻化が期待されるところでしょう。

また、文化を「一定の範囲の人々において共有され伝達されるもの」と定義するならば、心理面での動的な変容過程と文化という環境面の要素を組み合わせた研究、例えば企業など特定の集団の風土や個性の成熟過程なども視野に入ります。特定集団の規範の生成機序、地域文化の変容過程など、社会的視点を取り込むことが可能でしょう。こうして地理的な単位で捉えられる文化も、特定の集団構成員のカラーとして捉えられる文化も、考察の対象に含めていけます。

こうした研究では、設定された文化概念の有効性・機能性が問われるでしょう。研究者が文化と発達の関わりにおける何を解明の対象とするのか、そのために文化を理念的にどう定義し操作的にどう扱うのか、試みられてきた様々な手法を視野に入れた時に、どのようなアプローチがいかなる意味で有効性を発揮するのかを、作品の中で示して頂けることを期待しています。特に、文化と発達との関わりを解明する上で、質的研究法であるからこそ可能な研究とはどのようなものか、逆に質的研究法であるがゆえの限界はどこにあるのかについて、建設的な議論を展開して頂ければ、資するところが大きいと思われます。丹念な探求は勿論のこと、従来の説に留まらずに「文化と発達」との関わりを根本から問い直すような迫力のある論文や、新たな視座や技法を提供して次なる地平を切り開くような斬新な論文を、大いに歓迎します。



【第11号】病い,ケア,臨床(森岡正芳・西村ユミ 責任編集)

締切:2010年10月末日(受付終了)

特集趣旨:本特集では,「病い,ケア,臨床」というテーマで,病いや障害と共に生きる場と密接にかかわる人々の心模様と関係の有り様をひもとくような研究を、広く募りたいと考えています.「病い,ケア,臨床」の場に立脚したものでありさえすれば,現象理解のための理論的考察でも,変化を意図した介入研究でもかまいません.ここで臨床という言葉は医療現場にかぎらず、広い意味で使っています。たとえば,病院,学校,家庭,地域などの場でおこなわれる,医療,介護,相談,指導などの専門的関わりから,私的関わりまでが含まれるでしょうし,病む人自身の語り,病む人の代弁者としての記録,病む人とその周囲の人との相互作用の解釈,ケアする人の体験の記述,心理臨床の場で従来なされてきた事例研究法の質的研究としての位置づけ,自伝やルポルタージュなどのような類縁の試みをどう位置づけるのかといった論考など,思いつくだけでもいろいろなものがあると思います.従来の質的研究の枠の中に入りきれないものもあるかもしれません.「病い,ケア,臨床」の場で生じる現象をもとにした知見を集結させ,質的研究として位置づけることを目指した特集にしたいと思います.



【第10号】環境の実在を質的心理学はどうあつかうのか(南博文・佐々木正人 責任編集)

締切:2009年10月末日(受付終了)

特集趣旨:心理学、医学、看護学をはじめ、人間を対象とする科学は、ともすると人間側にばかり目を向け、その人が置かれている具体的な環境の存在・あり様に無関心のままであったように思われる。生体としてのヒトの身体とその機能を研究するとき、刺激とそれへの反応を調べるという方法が用いられ、その際にヒトが生きている環境は捨象されてきた。クライエントの生きてきた現実に寄り添う臨床心理学においても、例えば「対象喪失」という概念が表すように、実際に失われた「もの」が具体的に何であるか、それは深く問われないまま対象への心的な構造の探求に関心が向けられる。ここでも環境は、当然の前提として研究の背景に退いている。現実に生きている人間が、震災という経験をするときには、心的な喪失感と共に、それまでに在った具体的な「身のまわり」のもの全てやそれらとの関係が問題となる。

環境の実在を質的心理学はどのように捉えるのか?

身のまわりの環境をあらためて質的に―すなわち「それは何であるか」「どのようであるか」という点から―問い直してみる事が、学のラディカリズムとして今求められているように思われる。ギブソンのアフォーダンス論が提議する方向もその一つである。例えば次のような問い。

「地面とかそこの肌理とか、地面の上に散らばっている物とか、水とか、空気の流れとか・・・これまでの心理学が思考の対象として扱わなかった〈環境〉にも注意をする。そのときそれらに包まれているヒトが、ヒトを含む動物の行為の姿が少しちがって見えるということがあるようだ。だとしたらそのことを表に出して、話題にして、ヒトを語ることが環境を同時に語ることであるようなジャンルをはじめられないか。

建築家や土木の専門家やプロダクト・デザイナーが考えているはずのヒトのことも心理学にできないか・・・。」

環境とはどのようなものか。環境が「こころ」の主題となるのはどのような形においてか、そしてどのような原理によってか。生が営まれる「場」であり、人間を含む生きものを取り囲む「環境」がどのようなものであるか、今一度リアルに問い直す論文、質的研究でしかできない「モノ―ヒト」に迫る論文、「環境の心理学」を根本的に捉え直す斬新なアイデアを求む。